おさるの実験室

人生は実験だ

映画(ドラマ?)の24(twenty four)はどうしてオモロイのか?(3 of 5)

 

映画(ドラマ?)の24(twenty four)はどうしてオモロイのか? 長らく謎であった。そのメカニズムは、1)オモロクなければならぬという切迫感 2)オモロサを再現可能にするシステム的な担保、にあるのではないかと愚考し始めた。1)に関し、24が開始した2001年ごろは、映画産業にとって超逆風の時代であった。

 

前回は全然話が進まず、24チームの新作『ジャック・ライアン』がおもしろいという話で、アフィリエイト狙いのブログみたいにベタベタリンクを貼って終わりになってしまった。アフィリエイトやってないので遠慮なくリンク踏んでください。

 

さて24。2001年ごろは映画界は超逆風の時代だった。映画以外の映像メディアがすっごく頑張っている時代だった。1995年にはウィンドウズ95が発売されて、マルチメディアがどうのこうのと騒がれていた。百科事典に動画が入ってたり、ゲームでもムービーが挿入されたりじゃんじゃんしていた頃。

 

次世代ゲーム機戦争」が起きていたのも20世紀の末ごろ。正確には調べないとわからないけど、初代プレステやセガサターンが発売されたのって1996年とか1997年ではなかったっけ。CGのクオリティが上がり、ポリゴン描画が当たり前になり、「ゲームが映画を超える」みたいなことが言われていた。

 

実際には、ゲームと映画が目指す方角は違っていった。映画とゲームの面白さは根本的に違うものだからだ。でも当時はそんなこと誰もわかっていなくて、コンピュータが表現する映像が、実写にどんどん近づいていくことで、(実写)映画とゲームの境目が曖昧になっていく、とのビジョンを受け入れていた。

 

ゲームと映画の境目の話は半分以上どうでも良くて、ポイントは、若くて元気で才能ある人々が、ゲーム業界に押し寄せたことにある。あの頃のゲーム業界の先頭を走っていた人たちは本当にクリエイティブだった。いや、今がクリエイティブじゃないということではなくて。当時はポリゴンCGをリアルタイムで動かすことも「新技術」だったし、実写クオリティのCGをレンダリングムービーで動かすことも「新技術」だった。何をやってもチャレンジで、その中で次々と新しいアイディアが実装されていった。

 

あれもこれも新しい、3ヶ月後半年後に出てくるものは、今とかなり違うものになっているというのは、とても刺激的なことだったし、そういう世界に冒険心ある若者が集まって、創造的な仕事をするようになるのは当然のこと。

 

そういう背景もあって、映画界は、若い才能も集まって来なければ、消費者も映画を以前ほど熱心に見てくれないという、危機的な状況に陥っていたのが2000年前後だった。

 

<続く>