おさるの実験室

人生は実験だ

映画(ドラマ?)の24(twenty four)はどうしてオモロイのか?(4 of 5)

映画(ドラマ?)の24(twenty four)はどうしてオモロイのか。そのメカニズムは、1)オモロクなければならぬという切迫感 2)オモロサを再現可能にするシステム的な担保、では。24が開始した2001年ごろ、映画界は超逆風の時代。新しいことが次々と起こるゲーム業界に若き才能が集まっていった。

 

才能の結集するゲーム界は次々と新しいアイディアのゲームを生み出した。玉石混淆……というほど酷くはなくて、メジャータイトルはしっかり面白かったし、マイナータイトルでの冒険もあり、マイナーでマニアックかもしれないけれど未来に向けた実験がなされていることも多かった。

 

一方で危機的状況に追いやられたのは映画界。タイタニックの大成功や、日本ではもののけ姫やら千と千尋のスマッシュヒットはあったけれども、総体としては非常に苦しい時期だった。

 

シネマコンプレックス化を進めるとか、ハードウェア的な改善も頑張った。映画館での興行収益だけで稼ぐのではなくて、VHSビデオ化やDVD化、レンタルでの収益、関連グッズ販売など、あらゆる工夫がされたと思う。特にDVDはプレステでDVDが見られた(よね?PS2からだっけ?)ので、映画界にとっての救いにもなっていた。逆境というのは人をタフにする。

 

逆境の打ち手の数々のなかで、一つのブレイクスルーがドラマの劇的なレベルアップだった。それまでのテレビシリーズといえば、ナイトライダーとかスタートレックとか、話はそれなりに面白いけれど、シナリオは1回完結。関連性はあるけれど、連続性はないのがふつう。

 

映像面でも、きっとそこまでお金をかけていなかったのだと思うのだけれど、それほど凝った撮影や編集はなされていなかった。映像面では映画がすごくて、テレビドラマシリーズは、まあドラマだよねクオリティ、だった。

 

そういうテレビドラマの常識を覆したのが、「24」だった。物語がリアルタイムで進行する、という意外性は入り口に過ぎない。24回で描かれる24時間の物語は、もちろん24回を通した一貫性があり、かつ毎回毎回「いやでもか」というぐらいのどんでん返しの連発。

 

映像面でも、当時はまだ珍しかった手持ちステディカムを多用した臨場感のある映像、リアルタイムに進行する複数シーンを並べて画面に表示する新しい手法(これはシリーズをおうごとに減っていったが)。デジタル時代ならではの色調の調整もバシバシ入っていた。

 

つまり、テレビドラマシリーズに、映画クオリティの映像撮影と編集技術を持ち込み、映画を超える24時間分の濃密なシナリオを持ち込んだのだ。映画の苦境はテレビドラマで解消しようという、切迫感と意欲に満ち溢れたクリエイティブが、世界に生まれた瞬間だった。

 

<続く>