おさるの実験室

人生は実験だ

野菜の、あの「うまい」って感じは何なんだろう?(1 of 3)

野菜、美味しいよね。そのなかでも、あの「うまい」っていう感じが本当は何のことなのか、考えれば考えるほどよくわからなくなってくるのだワ。

 

冒頭からいきなりぶっ飛ばしてついて来れなくなるのかもしれないと危惧しながら書くんだけれども。新鮮な野菜を手に入れました。食べます。おいしいです。で、その美味しさなんだけど、早ければ早いほどおいしくて、時間が経てば、それこそ「刻一刻」味が落ちるじゃないですか。特に本当に新鮮な野菜が手に入った時は、分単位……で味の変化がわかる自信はないけど、半日経てば間違いなく味が落ちているのがわかる。

 

去年も友人が有機でトマトをやっていて、流通の関係でダブついているので喜んで箱で送ってもらって、やっぱり到着した瞬間が一番おいしくて、日に日に味が落ちてゆく。自分なんかは週末しか家に帰らないので、3日後のトマト食べて、それでも感激するぐらいおいしいんだけど、家族に言わせると全然違うと。自分も金曜食べて、土曜食べて、日曜食べると、変わっていくと感じる。

 

あれ、なんなんだろうなあ。具体的に、甘みだとか香りだとか酸味だとか旨味だとか、要素分解すればそれなりに説明がつくとは思う。でも、そこで感じている「うまいっ」って、味覚の要素ではなくて、きっと、その野菜が持っている生命力総体を感じているんじゃないかなと思うんだよなあ。分解された要素じゃなくて、総合的な何かみたいなね。たぶん。

 

それで思い出したのは、圧倒的に感動したトマトって(またトマトの例なのは偶然)、20年ほど前に京都の郊外に引っ越したときのやつだなあ。まだ僕は学生(大学院生)で、子どもがいて、妻が働いていて、主夫をやっていたころだ。借りたアパートは1階だったので小さな庭があって、その向こうは田んぼが広がっていて、春夏の夜はカエルの鳴き声で0歳の息子を寝かしつけていた。

 

歩いて3分ぐらいのところに野菜の無人販売があって、夏が近づくとトマトが出たりする。露地物じゃなくてハウスものだから早めということもあるけど、トマトって都会人の自分が思っているよりずっと早くて、あれいつだったんだろう。ゴールデンウィーク明け? 梅雨明け? ぐらいにはピークが来ちゃうんだよねえ。夏の暑くて「トマト食いてえ」という時期は大体旬が終わっているというね。

 

そこのトマトが抜群にうまくて。あの頃は暇だったから……ちょっと違うな。あの頃から好きが高じてハーブもいくつか植えてて。1階の庭に、確か、バジルとスペアミントを植えていた。ミントの増殖力は凄くって、あっと言う間に庭にはびこり、壁を超えて田んぼのあぜ道をも侵食し始めて焦ったねえ。

 

朝の10時に徒歩3分でトマトを買ってきて(午前中には売り切れちゃうから)、湯むきにし、庭でバジルを摘んで、フレッシュトマトとバジルのオイルソースパスタをつくった。あのときの「太陽をそのまま食ってるぜ」という感じは、前にも先にもあのときだけだった。思い出が多少美化されているのかもしれない。でもパスタ技術は今より明らかに低いし、塩加減も乳化技術もすべてが素人技だったけど(いまでも素人技なんだけど)、あの圧倒的な太陽感は、あのときが最高だった。

 

次のシーズンには引っ越して東京に行ってしまい、京都に戻ってきてからその無人販売には何度か足を運んだけども、時期が悪いのか時間が悪いのか、あの時ほどのトマトは手に入らず、そうこうしているうちに畑をやめてしまった。たとえ思い出補正が入っているとしても、あのトマト(そしてトマトとバジルのオイルソースパスタ)は最高だった。

 

<続く>

 

IT(ICT)とかコンピュータとかに弱いのはどうして?(4 of 4)

前回までのあらすじ

コンピュータとかは弱者の武器だと思うのに、若い人が意外とマスターしていない(しようとしていない)のはなぜ? と前から不思議だった。目の上のタンコブとして76世代とか81世代とか偉大なる起業家がいるから? でも一握りの起業家のせいで、世代としてまとまった反応をすることもないはずだよね……。

 

だが改めて考え直してみたら、一握りの起業家の影響だけとは言えないかもねと

思った。起業家だけでなくて、結構76世代、81世代はコンピュータが得意かも

しれない。

 

もちろんそもそも世代論というのが成り立つのかという議論もあると思う。

世代という集団はなくて、あくまでも一人一人がいて、その集合体があるだけで、

世代というものはないという主張もあると思う。

 

しかし一方で、例えば僕たちの世代(1973〜76年生まれ)あたりが境目で、

クルマに対する興味は急速に失われていると思う。ちゃんと調べていないけれど、

これはデータで出ているはず。もちろん、個人個人を見れば、クルマが大好きな

同期とかいるわけだけれど。集団として一定の傾向があるかないかといえば、

多分ある(=クルマにそれほど興味が持てない)。

 

どうしてそうなるかメカニズムは傍においておくとしても、生まれ育った時代背景に

よって一定の傾向があるとは言えるんじゃないかと思う。あまり「世代論」を強く

主張しすぎるつもりもないけど、限界をわきまえながら議論してもいいんじゃないなと

思うわけ。

 

世代論の妥当性の話はこれぐらいにしておいて。

76世代だとか81世代だとか、そこそこ全体にコンピュータとかITに詳しいんじゃない

かなと思う。自分がコンサルティング業界にいるから余計にそう感じるのかもしれない

けど、周りの76世代、81世代のコンサルタントは割とコンピュータ関係、スキル高い

よねと。その上の世代と比べれば明らかに感じるほどスキルフル。少なくともオフィス

スキルに関していえば、情報系の素養がなくて無手勝流だったりすることは多い

けれど、それを補って実践的に使えるスキルが高い。

 

横道に逸れると、だいたいオフィススイート全体が、何というか、一貫性がないと

いうか、あまり情報系の素養があっても役立たないような作りになってるもんね。

エンジニア系の人の目線では、雑然としていて、アウトプットするにも一貫性を保つ

のが難しいのーと思う。まあその辺りは、ソフトウェアの設計と使う側の素養

(あるいはニーズ)とがうまく合致しているのだと思うけれど。

 

ちなみに「ネ申エクエル」とかネットスラング化して非難の対象になっていたりする

けど、個人的にはユーザの問題もあるとしても(紙とデータの違いがわかって

いない)、それを許容する作りのアプリにも問題があるだろうとワタクシは

個人的には思ってる。

 

話を戻すと、76世代/81世代あたりはITスキルが割と高い。

これはきっと、彼らが上の世代と対抗するには、ITスキルを向上させることが

生存戦略上有利だったからではないかと思う。ちょっと上の世代だと、ワードは

使えるけど、エクセルはなんとかしどろもどろ、パワポはギブアップという人

少なくないからねえ。

 

きっとだから、81世代より後ろ、つまり今2018年でいえば30代前半から下の人たちは

ITスキルで勝負しても俄かには上の世代に勝てないから、別の選択肢を選んでいるのか

なという気がしてきたのだ、最近。

 

つまり、コンピュータとかITスキルが若い世代の武器だった時代はもう終わっていて、

逆にそこで勝負をかけるのは費用対効果的に不利な状況にあったのかと。

(もちろんエンジニア業界周りは別だと思うけど)

 

それではじゃあ今の30代前半より下は、どういう戦略で上の世代に立ち向かおうと

しているのか? というのが次の疑問になる。

 

SNSとかユーチューバーとかが対抗戦略なのかなあと朧げには思っているけど、

なかなかピシッと整理がつかない。

ということで、次なる疑問は

「いかにもITスキルで勝負するのが不利だと悟った30代前半より若い人たち

 どういう戦略を選択しようとするのか?(選択しているのか?)」

である、ということで、またいつか将来この問題に戻ってきたいなと。

 

<いったん終わり>

 

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IT(ICT)とかコンピュータとかに弱いのはどうして?(3 of 4)

前回までのあらすじ

コンピュータとか、弱者にとっての武器だと思うのに、若い人や弱い人が意外とマスターしていない(しようとしていない)のはなぜだろう? と前から不思議だったという話。趣味(ビデオ編集)でも仕事(オフィス)でも、偉そうにしている大きな人と戦う武器なのにさあ。

  

いくら不思議だと思い続けても、現実は現実だ。ワタシの想像よりコンピュータに

弱い人たちがいるのだ。もちろん「自分の周囲」というサンプルが悪いのかも

しれない。あるいは自分のほうが元々はテクノロジー業界にいたので、

最低レベルに対する期待値が高いのかもしれない。

 

しかし一つ決定的だったのは、息子の周囲の高校生のテクノロジーへの感心の弱さ

である。これもサンプルの問題は残っているかもしれないが、とはいえどちらかと

いうと進学校であり、しかも理系教育(科学教育)をうたっている学校。

 

弱い人々がテクノロジーにコミットして行かないのは、そこに妥当なメカニズムが

あるからではないか? と考えざるを得なくなった。じゃあ一体そのメカニズムは

何なのだという疑問になる。

 

仮説的に今思っているのは、30代40代が強すぎる、少なくとも強すぎるように

その下の人々からは見えているからではなかろうか。 上の世代が強すぎて勝負に

ならん、と思って諦めているのではないか。

 

ワタシらの前後が76世代(1976年生まれ)とか言われ、KAYACとかミクシィとか

はてなとかGREEとかの人たちが続々。そのあとは81世代とか言うらしいんだけど、

こちらもランサーズ、ピクシブ、ユーザベース、nanapiなど続々。

 

脇道にそれるけれど、1976年生まれだと、ファミコンの洗礼を小学生で受け、

スーファミの洗礼を中高生で受け、プレステの洗礼を大学生で受けたぐらいの

ところでプレステとほぼほぼ同時にWindows 95、大学で理系ならunixをちょっと

使わされて、ハテナハテナとなっているころにちょうどGUIのコンピュータの

衝撃、ぐらいの感じ。こう言うのをデジタルネイティブというのかよくわからない

けど、遊びはコンピュータ、大学ではレポートもコンピュータ、プログラムをやれ

という圧力もまだ残っているころ。かつ、コンピュータによって圧倒的に何かが

変わっていく予感がした頃だった。

 

 

こういった「スゲー」人がちょっと上にいると、やる気が削がれるというか、

そこで勝負するのはやめておこう……という心境になってしまうのではないか。

 

いやいや、起業家みたいなすごい人がいるからと言って、そんな一握りの人たち

を意識して下の世代が行動するのか? という疑問は残る。

しかし周囲を観察し、冷静に考えてみれば、だ。

 

<続く>

 

IT(ICT)とかコンピュータとかに弱いのはどうして?(2 of 4)

前回までのあらすじ

20代、30代の人たちが意外とITとかコンピュータに弱いのはどうしてだろう、と以前から不思議だった。ITはスキルの民主化だから、若い人、持たぬ人に有利なはずなのに。 

 

 20年前にはビデオ機材も高くて、

数千万の桁でお金が必要だったのが、

今や数百万、場合によっては数万円で

そこそこ映像が作れてしまう。

 

ビジネスとか仕事の世界でも同じことで。

ワードを作れない人は随分減ったと思うけれど、

大きな人たちがパワポを作れなかったり、

エクセルをうまく使えなかったりすると、

若かったり経験が少ない人にはチャンスなわけで。

 

だいたいビジネスというのは、年齢が上だったり、

経験年数が長いと有利なように構造化されている。

というのが基本やと思うのですね。

 

例えば営業。もちろんいろんな種類の営業があるけれど、

多くの営業は「人間関係」に依存することが多く、

また案件も新規よりリピートの方が有利であることが多い。

経験の浅い人は、人間関係もないし、多くの場合は

「新規の営業に行ってこい」と言われる。

組織対応としてはしょうがないところもあって、

既存のお客さんは、前よりもサービスレベルが下がると

すぐにそっぽを向いてしまうので、なかなか

経験の浅い人を割り当てられない傾向があるのも確か。

 

そういった組織力学の詳細は脇に置いておくとして、

言いたいのは営業の場合は、経験と年数が有利に

働きがちだということ。

 

他の職種も似たところがあって、

初めてやるより2回目の方が、

2回目より5回目の方が、

うまくやれるし早くやれるし、

そうなると空き時間ができるので

次の仕事をやったり今の仕事の改善をやったり

好循環を回せて行くというわけ。

 

ところがIT、要はコンピュータ、あるいは百歩譲って

マイクロソフトオフィスでも良いんだけど、

うまく使えれば経験の逆転現象が生み出せるわけだ。

 

年長者がパワーポイントを作れないなら、

そしてパワーポイントを作ることがそれなりに重要な

(あるいは不可欠な)仕事なら、仕事を奪える。

 

あるいは年長者がエクセルは使えるけれど、

もしも遅いのだとすれば、

魔法の技のように素早くアウトプットを

出すことで仕事を奪える。

 

上位者の仕事を奪い、楽をさせてあげられれば、

自分のプロモーションも有利に働くのも

組織力学の原則みたいなものである。

 

あるいはあなたが極く単純作業を

アサインされている人だとして、

たとえばエクセルのルーチンワーク

上位者がやらないような単純作業を

アサインされているとしよう。

 

マクロの一つでも組むとか、

マクロじゃなくても良いんだけど

キーボードショートカットや

エクセルの便利機能をうまく組み合わせて

無茶苦茶速く仕事をして時間を捻出すれば

早くも帰れるし、

あるいは次の仕事の仕込みができる。

 

僕は社会人になったのが遅くて、20代終わりに

「新人」で、直属の上司が年下であることも

珍しくなかった。だからこそ、組織力学の原則

ーー上司の役に立って損なことはないーー

みたいなことに自覚的だったのかもしれない。

その際に、「見たこともない技を出す」のは

上司の気持ちも傷付けないし、大変良い手法だと

思ったものだ。

 

話を戻すと、ITとかコンピュータとか

マイクロソフトオフィスの技を磨いて、

上司の役に立ったり、仕事を奪ったりするのは

「弱き者の生存戦略」としてはとても

費用対効果が少ない(=ちょっと勉強すれば

割と簡単に優位に立てる)と思っていたのだ。

 

そんなふうに思っていたのに、

自分より若い人と接していると、

意外とITとかオフィスに弱い。

オフィスに弱いだけかと思ったら、

IT全般に対して薄らぼんやりした認識であったりする。

 

もちろん、エンジニア系の人の集団に行けば

別な気はするけれど、そういう集団じゃなかったからかな。

 

相対的に弱き者が、生存確率を向上させる戦略を

選択しないのは一体なぜなのか?

あまり頭が良くない人だからなのか、

生存戦略という視点で普通はあまり考えないのか、

あるいは私が思ってるほどITスキル向上は

有利な戦略ではないからなのか?

 

けっこう真面目に不思議だなと思って、

長年疑問を抱き続けていたのだ。

 

<続く>

 

 

 

IT(ICT)とかコンピュータとかに弱いのはどうして?(1 of 4)

少し前からちょっと不思議だったのは、

どうして若い人たち(20代、30代)は思ったより

ITとかICTとかコンピュータとかデジタルとか

(ざっくりとデジタル技術ということにする)に

弱いのだろうか? ということ。

 

そもそもワタシの考えでは、

デジタル技術というものは、

若い人に有利にできているものではなかろうか、

と思っていたのだ。

 

デジタル技術(シリコンテクノロジーでも良いんだけど)の

特徴をズバリとひとことで言えば、スキルの民主化である。

たとえば、映画というものは昔々、撮影機材も高かったし、

編集機材も高かった。それが、デジタルになって、

言うても10万円とか20万円の世界で、

あるいはそれは言い過ぎだとしても、100万円あれば

映画が撮れるようになったのだ。

 

昔のことを今の人は知らないと思うけれど、

1990年代に大学生だった頃、とあるサークル活動をしていたとき、

大手予備校がスポンサーというか後ろ盾になってくれていた。

サークル活動の様子を、プロのカメラマンが撮影に来てくれ、

動画を作成してくれ、次年度のプロモーションに使わせてもらえた。

 

細かいことはどうでも良いのだが、

印象的だったのは機材の話で、

プロが使っている動画撮影用のカメラと

三脚はものすごく高いとカメラマンが教えてくれた。

ベンツが何台か買えると言っていて、

学生だしベンツがいくらぐらいするのか分からなかったし

今でもあまりよく分からないけれど、

今の感覚で言えば1,000万円から、みたいな

話だったのではなかろうかと思う。

 

どうでも良い細かい話ばかり覚えていて、

カメラよりも三脚が高いと仰っておられたと思う。

 

それが今や1桁は少なくて済む。

三脚だって、デジタルで手ブレ補正できるので、

そんなに神経質にならなくても良いだろうと想像する。

それにだ、1990年の後半から以降、

ハンドカメラの手ブレを生かしたような映像が

多用されているし、

街中の撮影を見ていても、スマホにブレを抑える

機械(名前がわからないけど)でやっているのも

結構見かける。

 

何が言いたいかというと、今は映画撮影(動画撮影)を

例にしてみたわけだが。

あらゆるジャンルで、かつては機材を持っている

(=お金を持っている)ことや特定のスキルを

持っていることが差別化要因になっていて、

新参者が新たに入り込むことが難しかったのに、

比較的安価なデジタルな機材と、

そこそこのスペックのコンピュータがあれば、

素人でもお金がなくても、意欲と気力があれば

結構勝負になってくる状況が次々と生まれたわけだ。

 

ビジネスでも要は同じことが起きていて、

若い人が年輩者を逆転することは、

デジタルをうまく使えば結構容易なのに、

どうして若い人たちはそこに注目して

勝負して来ないんだろう、というのが

不思議でならない(不思議だった)のだ。

 

<続く>